紙と鉛筆が紡ぐ物語

たなかちゅうすです。

私はすぐに人の影響を受けてしまいます。

今回はどんな影響を人から受けたのか、とあるブロガーのこんな記事がきっかけでした。

外部リンクどうやったらイラストってうまくなれるんだ?毎日走っている奴がイラスト頑張ってみた! - 暇つぶしに記事でもいかが?

普段からペイントソフト?で絵を書かれていたんですがこの記事ではノートに鉛筆で書かれていました。

私も昔はよく絵を書いていたんですが、いつのまにかまったく絵を書かなくなっていました。




ノートに書かれたあの絵が私に語りかけたような気がした。

すると、子供の頃の絵に対する感情がふっとよみがえってきた。

ただ、絵を書きたいという衝動。

しかしもうずっと昔のこと。

あの頃のように私は絵が書けるのか自問自答する。

久しぶりに絵でも書いてみようかと頭で考えてもこの右手はぴくりとも動こうとはしない。

そう、今の私の心の中に情熱の炎は燃えていない。

子供の頃あんなに絵を書くことが好きだった私。

もう一度あの場所へ戻れるとしたら今の私にはどんな景色が広がるのだろう。

パシッと顔を叩かれた気がした。

あの頃の私がそこにはいた。

「びびってんじゃねぇよ」

目頭がカッと熱くなった。

そういえば、棚の中にノートがあったっけ。

鉛筆、鉛筆はそうここの引き出しの奥。

もうステージは整っている。

華やかなライトや、客席なんてないただの少し小さい机。

いつの間にか右手が自然とペンを握っている。

紙と鉛筆の匂い懐かしい、うんいい感じ。


「おいおい、久しぶりすぎるじゃねーか。長いこと待たせやがって。」

『ごめんごめん、ちょっとだけ寄り道してた。』

置き忘れていたあの感覚を右手が私に教えてくれる。

このときだけは時間という概念が無くなる。

さっきまで聴こえていた雑音が一切消えた。

あの頃のあの場所。

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八九寺真宵 手書き

机の上は消しゴムのカスだらけで右手は鉛筆で汚れていたけれど大事ななにかがそこにはあった。

そっか、絵書くのずっと好きだった。

親愛なるあの頃の私に捧ぐ。